usajii357’s diary

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自己の位置を考えようという話~Pなのか否か~

 お久しぶりのブログです。なんか文章書くかな~と思っていたもののネタが多すぎて纏められなかったり、学会FESの作業を優先したり、10年近くお付き合いしている病気君が暴れだしたりで全然書いてませんでした。

 今回は、先日出演した「アイマス学会FES夜会 第9回」にて発表しました「Study about 激重感情」についてつらつら書いていこうと思います。圧倒的な自分語り率を誇る文章になりますが宜しければお付き合いください。

アイマス学会FESTIV@Lの夜会 #09 ~発表者紹介②~ - YouTube

※この文章はアイマス学会FESTIV@Lとなんの関係もありません。

「Study about 激重感情」ってなんだよ

 なんだよこれって話からしていこうと思います。私も運営委員会として参加していますアイマス学会FESではほぼ毎週運営委員会メンバーによる「夜会」なるものが放送されています。本当にマメな組織です。そんな夜会には前回の出演メンバーからその回に出演するメンバーに「お題」が課されます。「爆死経験を語ろう」だったり「昨日の晩御飯を語れ」だったりと多種多様なのですが、その一つとして「激重感情を語れ」というものがありました。

 この「激重感情を語れ」というお題がちょうど私が出演していた第9回のお題となっていました。激重感情なるものを私はちゃんと持っていなかったので、その代わりとして用意したのが「Study about 激重感情」というわけです。わけわかんないな…

 

内容について

 ということで実際に使用した画像を使いつつ内容を紹介していこうと思います。

 

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 まず激重感情とやらを定義しないとお話が進みません。ここでは私が勝手に定めた定義を用意しました。大体こんなものだと思います。ちなみに引用しているような書き方していますが引用先はありません。学会追放モノでは

 一方で真ん中のはちゃんと引用先があります。私も(気づいたら)片棒担いでいた企画のものです。今読み返すと良くこの内容を曝け出したなぁという感じもしますが、宜しければお読み下さい。

kikuimusi.hatenablog.com

 記事でも話していますが、当時の私は自らを「プロデューサーであってプロデューサーでない存在」と表現していました。面倒くせえオタクだなコイツ…

抽象的なのですが、私の中にいる2人のPは結論から言うと私であって私でない存在です。もう少しわかりやすく言うと、私がなり得た存在だと思います。人生のある点までは同じようなルートを辿ってきて、人生の分岐点で違う選択をした私という表現の方が良いかもしれません。そういう意味でPは私であって私ではない存在なのです。

狂気の弁明#2 - 頓痴気号漂流記

 

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 何はともあれ、こういうわけで兎爺という存在が「激重感情」を語るには「兎爺という存在がどこにあるのか」を探さないといけません。上の記事から早4ヶ月、兎爺のプロデューサー観が変化した可能性は十二分にあるでしょう。まずはここをはっきりしないといけない。その上で「一般的なプロデューサー」が行うであろう工程、即ち激重感情があるのか、あった場合どのようなものなのか、それは人様に公表するに値するのかという工程をこなす事になります。うーん長い!!なんだこの面倒くせえオタク!!!

 というわけであれこれこれそれと色んな手を使って自己の見つめ直しを行いました。

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 産物がこれです。なにこれ

 これは様々な人格の存在位置を探った図です。まず人格を思考のクセから定義する事とし、「楽観的-悲観的」と「直感的-論理的」の2つのパラメーターで定義しました。原点は私を基準にしています。その上で人格の存在位置をプロットしていきました。

 黄色の部分が「兎爺という人格」が「基本的に存在」する場所、ピンク色が「時々存在」する場所で灰色の部分が「ごくごくまれに存在」する場所となります。そしてピンク色と灰色の境界を「自己と他人の境界線」という事にしています。

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 パーセントで示すとこんな感じ。兎爺という人格は基本的には黄色の領域を移動し続けています。私は割と気分屋ですので、一点に留まらずに人格が変動し続けているという寸法です。気分屋なのなんとかならないかしら…

 例えばライブでぶち上がるとピンク色の領域に行って「いつもと違うみたい」状態になります。この領域は自己と他人の接続海域みたいなもので、「自分でもないし他人でもないかな~」みたいな不思議な区域です。

 更に例えば激怒すると灰色の部分に行って「我を忘れる」という状態になります。これが兎爺という人格の存在位置というわけです。

 逆に言えば兎爺は黄色の領域に存在する人格は「兎爺という人格である」と基本的に判断します。こういう内容はてんで勉強した事がないのですが(認識学とかになるんですかね…?)、現段階での私の自己認識はこういったものとなります。

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 ここにプロデューサーがどこに存在するのかをプロットしたのが上図です。今回は担当アイドルである「道明寺歌鈴」「北沢志保」に加え、推しと名乗っている「如月千早」「天ヶ瀬冬馬」「福丸小糸」のプロデューサーを対象としました。

※私がプロデューサーを名乗っているのは道明寺歌鈴北沢志保だけです。他3人のプロデューサーは「他人」(私がプロデューサーでは無いため)である事がわかっており、対照実験的な意味でのサンプルです。

 十人十色で困ったものですが、「各プロデューサーは黄色の領域に存在しない=兎爺という人格にプロデューサーは存在しない」という事は確実なようです。というわけで「兎爺はプロデューサーではない」という答えが出ました。

 一方で道明寺歌鈴Pと北沢志保Pはピンク色の領域に存在します。ここは自分でも他人でもない区域です。ここにいる2つの人格は即ち「他人ではない」事となります。というわけで道明寺歌鈴Pと北沢志保Pに関しては「兎爺であって兎爺でない人格」、つまり「兎爺はプロデューサーであってプロデューサーではない」という事が言えます。

 ここまでやってようやく1つ目の回答を得る事が出来ました。つまり激重感情を得るには「自分であって自分でない」プロデューサー達との対話か「他人である」プロデューサー達との対話をこなさないといけないという事もわかりました。

 じゃあその対話はどうなっているのか…?という回答を得るには、一週間という時間は短すぎました。結局激重感情を得る事は出来ませんでした。というのが夜会でお話した内容です。なにこれ。

 

補足していこう。

 というわけで夜会本番でお話した内容をつらつらと書いてみました。我ながら訳の分からない事を言っているなぁ…と思いますので補足を試みようと思います。ちょっと面倒なので「黄色の領域人格=兎爺」として「兎爺の中に存在するプロデューサー人格(ピンクや灰色領域に存在する5人格の総称)=兎爺P」という表現をしましょうか。兎爺≠兎爺Pというわけです。また、総称した5人格を個別に扱う際は「如月P」のようにアイドルの名字を使う事とします。

兎爺≠兎爺P=道明寺P+北沢P+如月P+天ヶ瀬P+福丸P、というわけです。

激重感情がお題なのにどうしてこれが出てきた?

 これは兎爺Pが抱える感情が「激重感情」に当たるのか分からないからです。これがオタク年齢の短さ(3年半程度)から来るのか、自己(?)理解の乏しさから来るのか、面倒な性格から来るのかは分かりませんが兎に角「分からない」のです。

 ただ、この問題も「兎爺Pは兎爺ではない」事が関係していると思っています。例えば当時(執筆中も)福丸小糸に対して良く分からない感情を抱いていましたが、「福丸P」は他人ですので、「福丸Pが抱える感情」は「他人の感情」という事になり、簡単に理解出来るはずが無い物と化します。この現象が他の4アイドルについても発生しているのかもしれません。

人格プロットは正しいのか

 これは本当にわからん。自己理解なんぞかんたんに出来ませんし出来てないですしそれを客観視するとかむぅ~りぃ~……ただ自己とプロデューサーの相関位置はある程度の正確性を持っているんじゃないかと思っています。まだまだ動き回る可能性はあるのですが…実際福丸P動き回ってますし…

担当と推しの違いはなんなんだ

 これはプロット表を見れば一目瞭然では無いでしょうか。担当は「そのプロデューサーがピンク色の領域に存在するアイドル」で推しは「プロデューサーが灰色の領域に存在するアイドル」という事です。

私の中にいる2人のPは結論から言うと私であって私でない存在です。もう少しわかりやすく言うと、私がなり得た存在だと思います。人生のある点までは同じようなルートを辿ってきて、人生の分岐点で違う選択をした私という表現の方が良いかもしれません。そういう意味でPは私であって私ではない存在なのです。

狂気の弁明#2 - 頓痴気号漂流記

 上で引用したものをもう一度持ってきました。どうやらこれは今も変わっていないようです。プロデューサー人格が自分であって自分でないという不思議な位置にいるワケはこういう事なんでしょう。

 ただこれは「担当や推しを名乗っているアイドルを観察した」結果産まれた知見です。卵と鶏どっちが先か、みたいな話ですが、たまたまこうなっているだけで私の中には他の基準が存在する可能性は大いにあります。

アイドルと接する時兎爺はどの人格なのか

 ここでは担当を名乗っている道明寺歌鈴北沢志保を対象とします。簡潔に言うと「兎爺とアイドルが接触する事はない」というのが答えです。じゃあアイドルと接する兎爺Pは何かという話になってきますが、これを指し示す良い表現が分からない。

 「ペルソナ」という概念を導入するのが1番近いようには思っています。これは「人間は地位や場面に応じて態度や行動を変更している」という考え方です。つまりアイドルと接する時はアイドル用のペルソナを使っているという事になります。ただ、私が「(所謂現実社会で)使用しているペルソナ」と「プロデューサーという人格」を比較すると、「プロデューサー人格」の方がより「兎爺」から遠い場所にあるようです。

 となると一つの肉体に複数の人格を所持している、つまりディアボロスタイルの可能性はどうでしょうか?これは前から記してきたように他人格と言えるほど独立していない(=他人と言えるほど離れていない)ので、ペルソナと他人格の合間にあるのが「道明寺Pや北沢P」という存在であるようです。多分下のような位置関係なのでしょう。

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 というわけでこれに従うと

・推しアイドル(右3人)とは兎爺ではない人格が接しており、それを兎爺が観測している。

・担当アイドル(左2人)も基本観測している事になるが、アイドルと接している人格が兎爺に近いので観測しているのか実際に接しているのか曖昧な部分がある

という事になります。うーんわからん。

アイドルマスターが提示するプロデューサーとの距離感

 アイドルマスターはそれぞれ独自のプロデューサー像を提示してきます。これは「コミュ内でプロデューサーが語った描写」がある事から明らかです。アニメやシャイニーカラーズに至っては詳細な人格を提示しています。このアイマスが提示するプロデューサー」と「私の中のプロデューサー」がどういう距離感なのかという話。

 結論から言うと別物です。どう考えても別人の域にいます。「ゲーム内で道明寺歌鈴が呼びかけているプロデューサー人格」と「兎爺の中に存在するプロデューサー人格」が別物というわけです。

 逆に考えると「ゲーム内のプロデューサーが接している道明寺歌鈴」と「兎爺Pが接している道明寺歌鈴」が別物となる可能性があります。「公式が提示する道明寺歌鈴≠兎爺Pが接している道明寺歌鈴」というわけです。

 こうなってくると「兎爺Pが見ているものは道明寺歌鈴なのか」という問題が生じます。兎爺Pが接している道明寺歌鈴は公式が提示する道明寺歌鈴から様々な形で変化している可能性は否めません。即ち「神社の娘、巫女で奈良生まれ、ドジで…」という道明寺歌鈴と同じような要素を持つだけの何か」を勝手に「道明寺歌鈴と呼んでいるだけ」の可能性があります。実際例のインタビューでもこんな事を言っています。

 

話が飛躍するようですが、私のアイマス観というものもそこに繋がってきます。私がPとして世界に存在した可能性があるという事は、アイマス世界には私がいたかもしれないという事になってきます。ですので、もしかしたら私は志保さんの担当Pとしてアイマス世界に存在していたかもしれません。はたまた私が歌鈴のPであるという世界が存在したかもしれない。そういう意味で、アイマス世界は私の世界であって私の世界ではない。存在したかもしれないし、もしかしたら選んでいたかもしれない。

―難しい話にはなるんですけど、論理的には存在するんですが素朴にみると存在しない世界、みたいな感じ。

そうですね。目には見えないですし、他の人に見せることも出来ないですし、説明することも難しいのですが私の中には確実に存在する。そういう意味でアイマス世界は実在していると思います。

狂気の弁明#2 - 頓痴気号漂流記

 

 アイマス世界を「自己の中に存在する物」と表現し、その中にプロデューサー人格やアイドルの人格まで存在しているのでは、という事まで言っていました。公式の道明寺歌鈴からある程度の独立性を持つ道明寺歌鈴の存在を肯定しているという事です。ただ、これを考え出すとわけがわからなくなってきますので敢えて踏み込まない事とします。存在の定義とかの議論に耐えうるだけの知識が今の私に無いので…

北沢Pはなんなんだ

 黄色の領域を囲むように、つまり自己の周りを囲むように人格領域が存在し、その範囲を動き回っています。これは原子の電子よろしく観測出来ていません。ワンチャン黄色の領域に入り込んでいるのでは?とすら思っています。つまりわからんって事です。なんもわからん。

 もしかすれば北沢Pの範囲までを「自己」と定義するべきなのかもしれません。そうすると私の中でのプロデューサー観が徹底的に崩壊する事になります。「兎爺=北沢P」になる、現実的に考えると兎爺のペルソナに「北沢P」という新しいものが追加される事となります。でもなんか違うような…本当にわからん…

福丸Pはなんなんだ

 「最近周期運動が収まってきた」ってなんだよ、という内容ですが「わからん」。これに尽きます。私は「福丸小糸が何を考えているのか分からない」といった内容をよく呟いていますが(もしかしてこれが激重感情…?)詳しく言えば「福丸小糸をプロデュースしている福丸Pの思考が分からない」という事になります。「アイドルの理解度(少なくとも体感的に理解していると思っている度合い)」と「プロデューサーの自己からの距離」は有意な相関を持っていそうという事がここから分かります。

他コンテンツで同様の状態になるのか

 アイドルマスターのような「プレイヤーが何かしらの役割を担うタイプのコンテンツ」を他にもやってはいるのですが(お馬さんの娘を育てるのとか、艦隊をこれくしょんするのとか)、他のコンテンツではこういった現象は見られません。何故アイマスだけこうなっているのかは謎です。初めて触れた(所謂)オタクコンテンツだから…?という推測ぐらいしか出来ません。

 結局激重感情はどうなったの?

 ぜんぜんわからん。ある意味アイマスへの激重感情という事になりませんかね…?(ならない)

 

最後に

 というわけで全編自分語りでお送りしてきました。自己を見つめ直して言語化するというのは難しいものですが楽しいものでもあります。こんなのもいるんだなぁ…程度の参考になってくださると嬉しいです。

 なんやかんやと理由とつけ、激重感情を発表する場で激重感情以外を話すという搦手を使ったわけですが、こういう話が好きなプロデューサーさんもいらっしゃったようで面白いコメントをいただけたりしました。なんやかんやで面白かったのでいいかな~という感じです。

 この思考遊び、プロデューサーとしてだったり人間としてだったりと自らについて新たな知見を得られますのでだいぶオススメです。暇な時にやってみよう…但し場合によっては沼るのでご注意…

 最後に、5月の15日16日にアイマス学会FESTIV@Lというものをオンラインで行います。各プロデューサーが各々アイドルマスターへの愛だったり考察だったりを発表し合う場です。宜しければ公式Twitterのチェックや聴講よろしくお願いします。