usajii357’s diary

Twitterでは足りない物を載せる用

ツダケンはキリンだった~スタァライトの感想文~

唐突ですが「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」を見て限界になったので感想文を書きたいと思います。本当にそれだけの文章ですがよろしくお願いします。

cinema.revuestarlight.com

 

 

はじめに

前提条件として私がどんな状態でこの映画を見ていたのかをお話しますと

・劇場版の一枚絵を見た事があるがそれ以外は全く見ていない

・舞台とアニメーションの融合みたいな事をしているらしい

・TLのオタクが見てたらしい

・百合らしい

・ツダケンがキリンらしい

・「ロンド・ロンド・ロンド」がアニメ総集編に当たるらしい

これだけの知識で臨みました。知識が無さすぎて我ながら逆に凄いと思う。ちなみに最後の情報はアニメイトさんの記事で知りました。ネタバレが無い(というか見てないとなにがなんやら分からない)内容ですので本作を見るかどうか悩んでいる方はこちらを参考にした上で視聴するのがオススメです。

www.animatetimes.com

 

第0章

というわけで見ていきましょう。折角なので映画の流れに乗って初見の感想を連ねていきます。一応映画中の章分けに従って目次を付けますが、ちょこちょこ勝手に章分けします。

舞台は聖翔音楽学園、歴史ある学校で舞台役者等を育成する由緒正しき学校。そして多分女子校。まるで宝塚音楽学校のようです。そうなるとスタァライトは舞台役者として切磋琢磨していく物語なのでしょうか。「第100回聖翔祭で戯曲スタァライトを学年全員で作り上げる」という「目標」が冒頭から出てくるあたり、この「第100回スタァライト」を作り上げる彼女達を描いた物語なのだろうと検討を付けます。唐突に東京タワーから落ちますがまあ演出か何かでしょう。

スタァライト、それは作り上げる戯曲。

 

第1章

「神楽ひかり」というキャラクターが登場します。主人公(だと思われる)「愛城華恋」の幼馴染で、何か大切な約束をしていたようです。良いですね、こういうの好きです。ですが数分後、ここまでの予想が根本から瓦解するとは思いもよりませんでした。

ひかりを追って見覚えの無いエレベーターに触れた先は巨大な地下舞台に東京タワー。「歌って、踊って、奪い合いましょう」と話すキリン(CV.津田健次郎)。武器を手に、歌いながらひかりと純那が繰り広げるのは「レヴュー」という名のバトル・ロワイアル。学園モノかと思ったらバトルモノだった、何を言っているかわからねえと思うが俺もわからねえ。あと本当にツダケンがキリンだった。開始早々脳味噌がパンクを初めます。

ここで面白いのがそのレヴュー。歌いながら舞いながら戦う姿はまるで舞台のよう。戦いの場である舞台は舞台少女達の意思に応じるかのように変化し、演出を繰り返す。ただの戦闘ではない、映画の中で舞台をやっているようなそのレヴューがこの映画を難解に、そしてそれ以上に面白くさせているように思いました。

スタァライト、それは闘い。

 

第2章

大場ななという存在が余りにもミステリアスな描かれ方をしていますが何も分かりません。キリンの事を知っているようですが謎です。

舞台少女という存在が「キラメキ」をいう物を持っている事と、ひかりが華愛にレヴューから降りるよう勧める事、レヴューの厳しさ、他の舞台少女の存在、過去の話、レヴューとは「一番大切な物」の奪い合い、華恋とひかりの誓いあいといった大量の情報が美しい演出と共に押し寄せてきます。情報が多すぎる。助けてくれ。

前述の通りですがレヴューの魅せ方が上手すぎる。全身全霊のバトルであるはずが舞台のように、舞台少女に合わせるかのように大道具が変化し続けるそのレヴューが、意味を理解していないにも関わらずその美しさでぶん殴ってくる。凄まじい、で済ませる事が出来れば良いのですがどうやら何かしらが色々と裏にありそうです。ロンドンでも同じような事をしているようですし。あとキリンが胡散臭すぎる。なんだこの声の良いキリン。

スタァライト、それは運命。

 

第3章

大場ななという存在が相変わらず謎すぎる。そしてここから畳み掛けるようにレヴューが続きます。変わり続ける舞台、変化する大道具に小道具、BGMにしては合わせられ過ぎているようにすら思ってしまう楽曲の数々は美しいの一言に尽きます。そして華恋とひかり以外の各キャラクター紹介や関係性がレヴューと通じて行われていくようです。キャラクターが掴めていけるタイミングが来るのは嬉しいですね。

個人的に好きなのは「嫉妬のレヴュー」。まひるの一人舞台が面白すぎる。あと確かに百合だった。

スタァライト、それは友情。

 

第4章

大場なな毎回出てくる件について。「本番5分前」とは何の本番なのでしょうか?レヴュー?それにしては相手がいませんが…

ここで多分回想になるのでしょうか、第99回聖翔祭の様子と、戯曲「スタァライト」の内容がざっくりと紹介されます。友人クレールが失った記憶を取り戻す為、フローラはクレールを連れて星摘みの奇跡の日に塔へと星を摘みに向かうものの、フローラは星の輝きに目を焼かれて塔を落ち、記憶を取り戻したクレールと永遠に離れ離れになるという悲劇、それがスタァライト

ここで「大場なな」という謎深き存在が徐々に見えてきます。「第99回聖翔祭」という輝きに心奪われた大場ななが、「『第99回聖翔祭』に向けて準備をし、スタァライトという演劇を作り上げる」という「舞台」を望んでいた事。レヴューに勝ち続け、その「舞台」を繰り返していた事。

こうなると色々な物が繋がってきます。大場なながやたら達観しているというか、母性のような物を持っているのは、彼女だけその「舞台」を見た事があるから。一人だけ記憶を引き継いでいたから。彼女だけがこの「舞台」の上で演じる「演者」だったのだと。こうなると大体1時間ちょい見てきたこの物語は、レヴューは、一体何度目だったのでしょうか。どこまでがレヴューで、どこまでが日常で、どこまでが「舞台」だったのか。このあやふやさ、輪郭のボケ加減が心地よいのが不思議です。

「孤独」の中舞台少女を守る為に戦い、繰り返し、演じてきた大場なな。それを明瞭に示す「孤独のレヴュー」。ロンドンでのシーンを思い起こさせるような舞台の上で「神楽ひかり」というイレギュラーがキラメキを再生産し、大場ななの「ロンド」を止めるというこの一幕の美しさは言葉に出来ない物があると思います。「絆のレヴュー」と共にこのシーンには大層惹き込まれました。レヴューを終えて、ななが純那と共に語り合うシーンは本作屈指の名シーンだと思います。いやまあ毎秒名シーンなんですけど(

スタァライト、それは目を焼くほどの輝き。

 

第5章

ロンド・ロンド・ロンド。ここで題名回収ですか。

物語はロンドを終え、最後のレヴューへと向かいます。スタァライトが華恋とひかりにとって重要な戯曲であった事や、真矢とクロディーヌの関係性が明るみに出ます。そして開催されるレヴュー・デュエットという変則的なレヴュー。それは「二人でスタァになる」という二人の夢が叶うかのような、見ている側も嬉しくなるような美味しいレヴュー。ぶつかり合う4人の意思。このレヴューは本当に凄かった。語彙力の無さ故にその良さを書ききれないのが余りにも悔しい。あとやっぱり百合だった。

ここで終わらず始まる「悲劇のレヴュー」。おのれキリン。二人で「ポジションゼロ」という星を掴みに行った「スタァライト」のクレールとフローラ、それが華恋とひかりだったとでも言いたいのでしょうか。フローラは、華恋は、塔から落ちていく事となるのです。

スタァライト、それは悲劇。

 

第6章

行方不明となるひかり、という衝撃的な展開が起きます。いやまあそもそも地下に東京タワーが埋まっている舞台がある時点で充分衝撃的なんですが。

ひかりが居なくなっても時は進みます。秋が来て、冬になる。「知らないでしょ、こんな寒さ」「うん、こんなの初めて」という純那とななの掛け合いがめちゃくちゃ好きです。99回ではなく、第100回の聖翔祭に向けて歩み続ける少女達。見つからないひかり。何かを失う華恋。

この華恋が語るシーン、ひかりがロンドンで何かを失ったシーンとほとんど同じ事を言っていて鳥肌が立ちました。「悲劇のレヴュー」で負けた華恋が「一番大切な物」を失っていた事が鮮明に描かれています。「孤独のレヴュー」といい、この作品には伏線しか無いんだという事にようやく気付きます。リアタイしてたら色々と情緒がヤバい事になりそうだなぁと後々思いました。

「星摘みは罪の許し。星摘みは夜の奇跡。」という戯曲スタァライトの一節。そして「残されたフローラは星摘みの塔に幽閉された」という、原典を訳す事で明らかになったスタァライトの結末。スタァライトをするという幼き頃の約束。再度開く、地下舞台への通路。戦って絆を深めあってきた舞台少女達と共に地下舞台に向かうシーンも大変良いものがあります。

スタァライト、それは約束。

 

第7章

ここで章替えは無いのですが勝手に入れます。ここから25分ぐらいあるんだもの……

ひかりはフローラのように幽閉されていました。いや、幽閉される事を望みました。舞台少女とは戦いで他人の「キラメキ」を奪う者。キラメキを奪わない為、奪ってきた贖罪としてひかりは自らを幽閉したという事でしょうか。スタァライトの原典が示すように。

ここの華恋とひかりはフレーラとクレールのように描かれます。違うのは2つ。ひかりがフレーラでありクレールである事。そして大道具を自分の手で作っては砕かれている事。一人で舞台に残り、一人で舞台を作り、永遠に終わらない悲劇の中にいる。沢山の大道具が生きているかのように変化し、相手と紡ぐ舞台であったレヴューとの対比が凄まじいシーンだと思います。

そして始まる終章「星罪のレヴュー」。キラメキを奪うという罪、苦しみに「キラメキを再生産する」という回答をぶつけてくる。これまでの物語を踏まえた上でこの展開は全ての伏線を回収したかのような清々しさがあります。

スタァライト、それは始まり。

 

第8章

また勝手に章の名前を付けます。戯曲「スタァライト」の結末を書き換えるという第100回聖翔祭でのシーンでこの物語が終わり……で無いのがほんともうほんと。

最後のシーン、何もかもが意味深でわけがわかっていないというのが現状です。なんなんすかこれ。ただ、再び始まったスタァライトが劇場版で終わりを迎えるような内容になるんでしょうね。見てないけど。めちゃくちゃに裏切られそうで恐怖していますが。

スタァライト、それは舞台少女。

 

感想

この文章を書くに当たって4回目のスタァライトしたワケですが、本当に何がなんだかわかってないように思います。この作品の凄まじさを表現出来るだけの文才を、理解力を、私は持っていないかのような気分です。ここまで書いてきた事も色々間違っているように思う。兎にも角にも劇場版が気になり過ぎるので見に行こうとしたのですが

f:id:usajii357:20210905215048p:plain

(#・∀・)………

cinema.revuestarlight.com

終わってた☆ので円盤待ちです。こういう時勢じゃなければやってるところまで殴り込みに行く勢いだったのですが……

 

恨み節は置いておいて、全体の感想的なサムジングを。

・ツダケンがキリンだった。「何言ってんだろ」とか思っていましたがツダケンがキリンでした。おわび申し上げます。

・音楽の使い方が化け物級に上手かった。特にレヴューでは「音楽に合わせて戦う」ではなくて「歌い踊りながら戦う」という独自性が存分に出ていたように思います。

・輪郭線があやふや。レヴューなのか、日常なのか、回想なのか。大場ななという存在や大量の伏線によってそれらの境界線が徐々に曖昧になっていく感覚がありました。1クールアニメの総集編とは思えない纏まり具合で、初めから2時間という制約の中で作られた歌劇を見たかのような感覚になりました。

・アニメなんだけどアニメじゃない。前述の通り、舞台を見た感覚なんですよね。無論動いている絵はアニメそのものなのですが、展開や曲調がアニメじゃない。凄く不思議な感覚。

・初見で良かった。初めに示したように知識0で見て良かったです。全てに驚かされながら見る事が出来ました。

・何も分からない。例えばですが、最終シーンを見ると大場ななの「ロンド」はまだ終わってないのでは無いのか、とか色々な疑いを持ってしまいます。負けたように見せた部分まで「舞台」なんじゃ、とか次のレヴューで勝った上で「レヴューに負けたという舞台」までやり直すんじゃ、とか。大場ななという存在を疑いすぎだとは思いますがまだ何か持ってそうで怖いです。

・「スタァライト」が大量の意味を持っている。初めはただの戯曲であった「スタァライト」が物語と複雜に絡み合っていく過程で、本来持っていた大量の意味を徐々に明かしていったような気がします。なんか気付けば動詞になってるし。

・キリンは何者なのでしょうか。なんでキリンなんでしょうか。謎過ぎる。

・アニメを見たら私は人の形を保っていられるのでしょうか。人でない何かになっていても文句が言えないです。アニメ、勿論見たいのですが怖くて見れない。

・やっぱり何も分からない。ただツダケンがキリンだった事だけは確かである。

 

多分ですが劇場版を見たタイミングでまた文章を書きそうなので、この感想文の締めは未来の私にぶん投げようと思います。頼むぞ。